日本のゴールデンウィーク中、以前レベルストーク山岳ガイド事務所で仕事していた時のボスの一人、カナダ山岳協会所属でアルパイン山岳ガイドのDave Scottから連絡があり、3泊4日のコロンビア大氷原の旅に彼のお客さんのスェーデン人2名と行かないかとオファーがあった。せっかくのガイド勉強できるチャンスなので、一度冬の道具を倉庫にしまっていたが、もう一度出していざ出発。
5月5日、早朝早くBC州との州境に位置するコロンビア大氷原に向け出発したが、荒れ模様と言う気象予報が的中し、大氷原では大荒れ大吹雪。ホアイトアウトという状態(視界は50mほど)で周りの景色が見えない雲の中。その中で、カナディアン・ロッキー山脈の観光で最も有名と言ってもいい雪上観光車が走るアサバスカ氷河からコロンビア大氷原へ出発した。
ここで氷河と氷原の違いをお話ししよう。漢字を見てもらっても分かる通り、氷河は氷の河として上流にある氷原から流れ出した氷の河であり、氷原はため池のような役割で氷を作り続けていることをいう。ということは、コロンビア大氷原で出来た氷がいくつもの氷の河として色々な方角の山間へと流れ出している、ということを想像していただけるだろうか?
つまり、コロンビア大氷原はカナディアン・ロッキー山脈では最大級の氷の生産地で、サスカチュワン氷河、アサバスカ氷河、ドーム氷河、スタッフィールド氷河、コロンビア氷河、キャスルガー氷河という6本の氷河を押し流しているということである。この地は北米大陸の大部分の純粋な水を生産しているとも言える。
そのアイスの上では常に4人ともロープをし、クレパスと言う大きな割れ目やムーランと言う氷河の管状穴を避けながら2,900mのベースキャンプへとコンパスとマップを使用し一歩ずつ歩いた。アサバスカ氷河の先端標高1,968mから歩いて1時間半後に氷の滝、所謂氷瀑が標高約2400mから2700mにかけて壁のように現れた。この個所は、氷の厚さや大きさが年々後退している為、ルートファインディングが難しくなりつつあったが、さすが山岳ガイドのDave。問題なくこの300mほどの壁をリードしてくれた。その後、氷原に到達したとたん、風と雪はいっそう激しく、命綱のロープの長さでの距離計算をし、コンパスでは一定の方角230度に向けてホワイトアウトの中4時間ほど歩き続けた。
州境を超え、BC州に入ってから1kmほどのところで標高も2,900m位になったので、午後6時半前にベースキャンプとなるテントを2張り設営した。その地点がどこなのかは、次の日の早朝のお楽しみなのだった。
そして、翌日、前日のホワイトアウトとは打って変わっての晴天。その時に気付いたのは予定よりはかなり手前でのベースキャンプを設営していたこと。これにより、予定をしていた標高3,747mのコロンビア山への登頂を断念。その代わりに世界でも2か所しかなく、太平洋、大西洋、北極海と三海洋に濯ぎ込む分水嶺でもある標高3,451mのSnow Domeという山にスキーで登った。
そして次の日は標高3,450mのMt. Andromedaに登頂。この時の登頂は3日間でも一番天気がよく、氷原と山頂から眺めるBC州の山々は遥か遠くに連なっていた。目立って見えたのが標高3,519mのMt. Sir Standfoardで北セルカーク山脈で最も高いと呼ばれている。自作のBC州内陸部地図からも見て理解して頂けると思うが、BC州にはアルバータ州に比べて起伏に富んでいて色々な景色が見られる。

アルバータ州はカナディアン・ロッキー山脈のみだが、BC州はウィスラー&ブラッコムがある海外山脈からアルバータ州の境目であるカナディアン・ロッキー山脈までには日本ではまだまだ知られていないモナシー山脈、カリブー山脈、セルカーク山脈、パーセル山脈の4つが連なるコロンビア山脈群としてロッキー山脈の前に聳え連なっている。
その中でも、グレーシャー国立公園ロジャーズ・パス付近を特にカナディアン・アルプスと呼ばれる。これは1888年7月にここを訪れたスイス人山岳ガイドであり牧師のWilliam Spotswood Green氏ともう一人のスイス人ガイドHenry Swanzy氏がGlacier Houseと言うカナダ横断鉄道関連の高級ホテルを訪れた時に通称でこの地を「Canadian Alps」と呼んだのが始まりだ。
以後、当時はバンフよりも山岳ツアー、洞窟ツアー、そしてロッククライミングツアーが多く遂行され、アルパイン・クラブ(所謂:カナダ山岳クラブ)の発祥の地ともなった。しかし、1910年のロジャーズ・パス雪崩事故をきっかけに鉄道路線の変更を余儀なくされ、雪崩危険を回避する為1916年鉄道トンネルが貫通完成した。その後、アメリカ人、オーストリア人、スイス人、カナダ人が良く利用していたこのGlacier Houseと呼ばれるホテルも使われなくなり、観光客もぐっと減ってしまった。しかし、1965年カナダ横断道路が開通し、少しずつだが、観光客は戻ってきている。今年からはもっとこの地域の山々を歩き、私自身がそれぞれの山々の歴史背景を学びながら皆様に発信できればと思っているところだ。いつかまたこの地域ではアウトドアや山岳ツアーの聖地として栄えることを信じて。